Trip
2021年01月23日
地蔵院、鈴虫寺

11月の京都旅行の続き。間が空きましたが、三日目の午後です。
「苔寺」を出たのは 12時でしたが、お昼を食べたいお店もなく、「鈴虫寺」に行くつもりで歩いていたら、「鈴虫寺」の反対方向に「竹の寺」があると書かれていました。
近かったら行ってみようと階段を上がり、暫く行っても見当りません。
でも、雨も上がったし、せっかくなので行ってみることにしました。
一休宗純禅師(一休さん) が 6才頃までいらしたお寺だそうです。
↑ 総門前のモミジの葉はまだ青々としていました。


小じんまりしたお寺ですが、本堂(写真、左) の右手奥、方丈の前には "平庭式枯山水庭園" (写真、右の真ん中) があり、本当だったらゆっくりと眺めていたいお庭でしたが、他の方が大きな声でお話していらしたので、早々に退散。
思いつきで寄ったお寺ですが、落ち着いた穴場的お寺で、行ってみて良かったです。

正式名称は「妙徳山 華厳寺」
約 5万匹の鈴虫が一年中鳴いているので「鈴虫寺」と呼ばれます。
最近は、和尚さまの説法が人気なのだとか。
そんなことを知らない jugon は、「説法は、お聞きしないといけませんか?」な〜んてお尋ねしてしまいました

すでに始まっていた説法のお部屋へ入ってみたら、
思いがけず大勢の方がいらしてびっくり。

「鈴虫寺」は、一願成就のお寺としても有名だそうです。
山門前のお地蔵さまは、全国でも珍しい草履を履いたお地蔵さまで、お願い事をするとその人のところまで歩いて来てくださって願い事を叶えてくださるのだそうです。
和尚さまは、説法の中で、そのお願いの仕方も教えてくださいます。
15分ほどで行けそうなので「松尾大社」まで歩こうと思い、「鈴虫寺」の階段下で地図を見ていたら、小雨だった雨がザァザァ降りになってきたので、歩くのは諦めてバス停へ。

帰りの新幹線まではまだ時間があるので、ちょっと心残りな河原町辺りへ行こうか、雨が激しいのでもう京都駅へ行ってしまおうか、もし雨が小降りになって「嵐山」が綺麗だったら降りてもいいねなんて話ながらバス待ち。
そして、「嵐山」に来たら、↑ この景色。
雨もほぼ止んでいて・・・「降りよう!!」
でも、嵐山は、人人人。
お腹が空いてきたけれど、どこも満員。
散々探して、何か食べました・・・何だったかな?
焼きそばとビールだったかな〜。
その後、お茶をして、バスで京都駅へ。
ホテルから京都駅近くの系列のホテルへ運んでもらってあった荷物をピックアップ。後は、ちょっとお土産を物色。夜は、名古屋駅構内の "ヱビスバー"
そんなこんなの京都旅行でした。
長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
実は番外編(10月の一人京都旅) のダイジェストもここに載せようと思いましたが、余りに長くなりますので、またのチャンスに(^^)


ニャーちゃんは、怖いお顔に見えますが、欠伸の後でぇ〜す。
(猫を写した場所と記事は関係がありません)







jugon1911 at 00:00|この記事のURL
2021年01月16日
西芳寺(苔寺)

去年秋の京都旅行、最終日の3日目(11/20) 、前の日に学習したので(^^)
朝は、ホテル近くの喫茶店で、トースト&コーヒー。
そして向かったのは、1ヶ月以上前に拝観の申し込みをしていた、
世界遺産の西芳寺(苔寺) 。
以前から行ってみたいと思いながら、一度も足を運んだことがなく、
いかに「苔寺」の良さを知らなかったかを痛感。
紅葉の時期だったから余計感じたのかも知れませんが、
本当に素晴らしいお庭でした。
朝から止むような止まないような小降りの雨降り。

往復葉書で申し込めるのは、日にちだけ。
戻ってきた葉書に時間が指定されていました。
午前 10時から 12時まで。拝観時間は、最長で 2時間ということです。
まずは、本堂で "写経"
"写経" は、明けて一昨年、鎌倉の「長谷寺」で行ったのが初めてでしたが、なんだかあの時の方が厳かな気分でした。
今回は、意識はしていなかったけれど、時間が余りないような気がしていて、気持ちが落ち着かないまま写経を終えた気がします。

「西芳寺」へ到着した頃から、雨脚が少し強まってきていて、
一向に止みそうもありません。


こちらのお庭には 120種類余りの "苔" があるそうですが、
どうしても 苔 より 紅葉 に目が行きます。
新緑の季節にも訪れてみたい。


雨粒がオーナメントのよう。

その後、傘は差したり、閉じたりでしたが、
雨のお陰で、紅葉の色が際立ちます。
地面に散り敷いた葉も美しい。

お寺を出たのは、私達が一番最後。
門を閉めるのを待っていてくださいました。
↓


ニャーちゃん、葉っぱをチョイチョイ(^^)
何かいたのかな?
(猫を写した場所と記事は関係がありません)






jugon1911 at 00:00|この記事のURL│Comments(24)
2021年01月12日
宇治 (平等院、興聖寺)

今年にずれ込んでしまった、去年の秋(11/18〜20) の京都旅行の続きです。
二日目は、宇治の 「平等院」へ行きました。
私達二人の「裏に池とお庭があるところ」という朧げな記憶で、行ってみたのですが・・・平等院の裏には、どう見ても池もお庭もありません(^^;;
まぁ、いいっかぁ、というので、「鳳翔館」の展示などをゆっくり見て
「阿弥陀堂」(鳳凰堂) の拝観時間を待ちました。
後で分かったのですが、私達が思っていたのは「平安神宮」
裏の池とお庭は "神苑" だったようです


思い違いで行ったとは言え、宇治は静かで空気が澄んでいて、
川のある風景に心が休まります。
「平等院」の 「鳳翔館」は見応えがあり、「阿弥陀堂」の "阿弥陀如来坐像" や "二重天蓋" の素晴らしさ、愛嬌のある "雲中供養菩薩像" も一つ一つ見ていたらすぐに時間になってしまい、後ろ髪を引かれました。

駅を降りてすぐにある「宇治川」
そう言えば、この景色に見覚えはなく、宇治は初めて。
ここで気付いたハズなのに・・・。
川の右手、白っぽい橋の袂の奥にあるのが「平等院」
そして、左手、茶色っぽく見える橋よりずっと奥に「興聖寺」があります。
↓ 「興聖寺」


「興聖寺」に行こうと思ったのは、平等院を出てまだ時間があったのと、ガイドブックに参道の "琴坂" の紅葉が綺麗だと書いてあったからですが、残念ながらここのモミジは、すでに葉の先が枯れていて、終わりかけ。
お寺は、道元禅師が開いた座禅専門道場「観音導利興聖宝林禅寺」に遡り、江戸時代に淀の城主、永井尚政公が宇治に再建したもの。
とても鄙びたお寺で、見所がたくさんありました。

京都で宿泊したのは、9月末にオープンしたばかりで、お寺とコラボしたホテルというのに興味が湧いて選んだ 三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺
ホテル内にお寺の本堂があり、申し込めば「朝のお勤め」が体験できるとか。
お部屋はモダンですが、使い勝手が余り良くないように思いました。
全室、シャワーだけなので、大浴場が用意されていますが、脱衣場のロッカーや浴室内の洗面の設備が少なくて、満室ではなさそうなのにずっと混雑していて「密」でした。
そして、この日の朝ご飯。
朝からちょっと量が多いので迷っていましたが、やっぱり「美味しそう!」
で、「食べよう!」ということになったのですが・・・確かに美味しかったけれど、この量ですから・・・思った通り、食べ過ぎ。
朝からお腹が重いのは、やっぱりいけません。
お友達は、"散し寿司" のご飯、jugon は "鯛茶漬け"
半分以上を白いご飯のままいただいて、その後、お茶漬けにしました(^^)

京阪電鉄で "祇園四条" まで戻り、今回は、絶対食べようと思っていた
"葛切り" を求めて "鍵善良房" さんへ。
「今回は」と言うのは、実は 10月にも一人で京都へ行きましたが、その時は、営業時間が短縮されているのを知らず、 5時前でしたが茶房はすでに閉まっていました。
"鍵善" さんへは、いつからか京都へ行くと必ず寄って "葛切り" をいただきます。大好き♪

お夕食は、本当は別のレストランの予定でしたが、連絡が上手く取れていなくて、フラフラ歩いていて、なんとなくこちらのビストロへ。
丁度、この日はボージョレ・ヌーヴォーの解禁日。

最後までお読みくださってありがとうございます♬


もう、水仙は咲いた頃かしらね〜。
(猫を写した場所と記事は関係がありません)






jugon1911 at 00:00|この記事のURL│Comments(16)
2020年12月27日
東福寺

クリスマスも過ぎて、みなさま、お正月に向けての
準備にお忙しい日々でしょうか?
ああ、後 4日・・・取り敢えず、大掃除はしなくっちゃ!
↑ 東福寺 方丈、八相の庭。「南庭」
忘れた頃の 11月の京都旅行の続きです。
こんな調子なので、この旅行記は来年まで持ち越しそう(^^;;

栞に書かれた説明書きの要約。
「八相の庭」とは、「蓬莱」「方丈」「えい洲」「壷梁」「八海」「五山」「井田市松」「北斗七星」を「八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)」に因んで命名されたもの。
「西庭」と「北庭」の 市松模様に図案化された苔の配置は・・・温故知新。
斬新さとおしゃれ感が、目を引きました。左上の写真は「北庭」。
竈門炭治郎の羽織も市松模様ですが・・・(^^)
右上は、入り口にある「臥雲橋 (がうんきょう)」から「通天橋」を望んだところ。人がいっぱい。
その左は、一番奥にある「偃月橋 (えんげつきょう)」です。

↓ 「三門」

丁度、"第56回 京都非公開文化財特別公開" の時期で、東福寺では「法堂」と「三門」が公開されていました。「法堂」の雲龍図は、外から拝観(^^)
「三門」とは三解脱門の略で、人間は悟りの境地に達するために三つの関門を越えなければならない、という禅宗の思想を目に見える形で表したもの。
この門をくぐることができるのは、「空」 (とらわれない)、「無相」(執着しない)、「無作」(ほしがらない) という悟りを開いた人だけ。なので、全部ある jugon は当然、この門をくぐることはできません。でも、楼上は OK !
普段は上げられている山廊が覆う階段は、狭いしとっても急でちょっと怖い。でも、こういうのちょっと好き

棟高約 22m のこの大きな門の 2階部分には、地上から仰ぎ見るだけでは分からない別世界が広がっています。回廊から望む、洛南一帯の景色はなんだか清々しい。
広々とした楼上内部には、宝冠釈迦如来、月蓋長者、善財童子、十六羅漢が安置され、天井や柱には、明兆とその弟子による極彩色の鳥や龍が描かれ、その色合いは 600年の時を感じさせない鮮やかさ。
(コラージュ内の説明書は、クリックでコラージュを拡大、更に+マークで「三門」をクリックしていただくと読めます。)

一緒に行ったお友達が大好きで、京都へ行くと必ず立ち寄り
何十分も眺めているというお庭。

いつもより人が多かったそうですが、それでも夕方に近付くと、
私達の他は一組二組。
たいそう静かになり、侘しい雰囲気が良い感じでした。
先日の記事から、ここまでの東福寺内での拝観の順番は、前後しています。
実際は、「方丈」→「即宗院」→ 「三門」→「正覚庵」→ 「光明院」
↓ この日の夕食

京阪で三条駅まで行き、高瀬川沿いを歩きながら夕食のお店を物色。
途中、何軒かを候補にしていましたが、
歩き疲れた辺りで見つけた居酒屋 "じろく亭" さんへ。
銀杏だけが焼き過ぎで、カチカチだった以外は、
どれも美味しくて良いお店でした。
またまた長くてすみません。
↓


お腹を空かしたニャーちゃんは「ニャーニャーニャー」の甘えっ子。
何にも持ってなくて、ごめんね。
(猫を写した場所と記事は関係がありません)






jugon1911 at 22:19|この記事のURL│Comments(17)
2020年12月15日
泉涌寺、東福寺塔頭

11月の中旬、お友達と京都へ行きました。
京都は好きな都市で、多い年には年に何度とか行っていたのに、最近は、もうず〜っとご無沙汰。
名古屋から京都へは、今は "のぞみ" だったら 40分かかりません。
そんなに近いのに・・・理由は、海外の人(特に、近隣諸国の方) が多くなり、雰囲気が変わってる気がしてたから。
そういう意味では、今年は静かな "秋の京都" になりそう、というので、 8月くらいに名古屋のお友達と「京都行く〜?」なんて話しが出ていて、その後、「私、行くことにしたけど jugon 乗る?」という LINE が。
それはもう!(^^)
日程を合わせていただいて、行くことに・・・そしたら、Go To が始まって、渡りに船(!?)

京都、主だったところは何度も行っているのに、行っていない地域も多々。それに昔過ぎて忘れているところも多いし(^^;;
「どこ行く〜?」で、jugon は、超有名なのになぜか行ったことのない "苔寺"(西芳寺) には行きたいと。
いつからか "西芳寺" は事前申し込み制になっていて、往復葉書に拝観希望日を記載して送るとお返事が来るシステム。
良く分りませんが、この時期だからかそれが普通なのか、1ヶ月少し前くらいにお願いしたら希望通りの日にちで拝観可能とのお返事が来ました。
それは最終日のお楽しみということで、初日は、お友達が京都へ行くと必ず参拝するという「東福寺」に行こうということになりました。
「東福寺」この頃、人気ですが、ずず〜〜っと昔、行ったことがあるようなないような・・・記憶が正しければ、全然静かで余り人がいないお寺だった記憶。
それはさて置いて、その前に、二人とも行ったことのない「泉涌寺」が近いので、そちらへ。
で、↑ の写真は全部、皇室の菩提寺である「御寺 泉涌寺」
とても大きなお寺で、"御座所庭園" と呼ばれるお庭も美しく、写真の左下は "楊貴妃観音堂"

辛い気持ちになった時とか、嫌なことがあった時、自分の中に「心地良い場所」を持っていたら、いつでも「そこ」へ行くことができ、そういった気持ちをクリアにすることができますよね?
この "自分の空" を見て、ここもそういう場所だな〜と思いました。
この日が "青空" だったので余計にそう思ったのかも(^^)

「真言宗 泉涌寺派 別格本山 雲龍院」には、見どころがたくさん。
お寺なのに「見どころ」という表現が良いかどうかは分かりませんが、"蓮華の間" の障子には四角い窓があり、お庭の景色が綺麗でした。"悟りの窓" も良い雰囲気。
真っ黒な「走り大黒天」は、わらじを履いていて、ユニークです。
そして、御朱印の文字がとてもとてもお上手で、感動しました。

お友達は、前々から死後のことを考えていて、自分は樹木葬が良いと言うのでそういう場所を探しています。
それで、彼女の好きな「東福寺」の塔頭である「即宗院」と「正覚庵」の樹木葬の場所を jugon も一緒に見せていただきました。

どちらかと言えば、「正覚庵」の雰囲気が良いように思いましたが、どちらも紅葉が本当に美しく、静かな良いお寺です。


↓


ススキの向こうのシロクロちゃん、
この後、徐に立ち上がり、ダッと走り出しました〜。
(猫を写した場所と記事は関係がありません)






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2020年11月30日
蔵王 -3 (独鈷沼)

空気が乾燥し出したので、各地で COVID-19 の感染が拡大してきましたね。
お互いに、基本(マスク着用、帰宅時のうがいと手洗い) を守り、気を付けて過ごしたいです。
10月の東北旅行の続き、今日でお仕舞です。
↑ 「独鈷沼」
10/22 午後、前回 UP した「片貝沼(かたかいぬま) 」から
「独鈷沼 (どっこぬま) 」を目指します。
後できちんと地図を見たら、中央高原には、他にも「目玉沼」とか「ウツボ沼」というのもありました。
「片貝沼」から「独鈷沼」へも道標に従いながらいくつかの 林 やゲレンデを横断しながら向かいますが、結構遠い。

歩いていたら、途中、一歩足を進める毎に地面から鳥の群れがザザザーッと飛び立つ林がありました。
数も多いし速度が速く止まらないのでどんな鳥なのか一向に分かりませんでしたが、その林の出口辺り、視界が開けたところでやっと木の上に止まる姿を捉えたのが ↑
その一区画だけでしか見かけませんでしたが、名前を "アトリ" と言うそうです。jugon が見たよりもっと凄い群れを成している時もあるようです。

自分が知らないととっても珍しい鳥かと想像してしまいますが、
そうでもないみたい(^^)

途中で、道しるべがなくなり、ゲレンデの上の方から眺めたら、少し離れたところになんとなくそれっぽい場所が・・・近付くと、そこが「独鈷沼」でした。
もっと山奥にある沼かと思っていたら、沼の一部は、車も通る道路沿いで、ちょっと想像とは違いましたが、季節のせいか人も一組二組。
そろそろ夕方近くで気温も下がり、静まり返った青っぽい沼は神秘的で、水面に映る紅葉した木々がさざ波に揺れる様子は見ていて飽きません。

この沼の名前の由来:昔、この沼に住む竜を静めるために 覚山法師が呪文を唱えながら金剛杵の独鈷を沼に投げ入れ、その竜を水神として祀った。


その後、ロープウェイ駅へ戻るのがこれまた大変!
駅はこっち→ の道標に従い、ゲレンデを登りましたが、登っても登っても次の道標が見当たりません。
上の方にある案内をカメラの望遠で写して拡大して見てみても、遠すぎて読めず。
息は上がるけれど、途中に道があって案内板が見えなくなるので仕方がありません、どんどん登って、近くまで行って確認したら、スキーの時のゲレンデ案内で、ロープウェイ駅を示すものではなく・・・「さぁ、困った!」
見渡すと遠くある建物が、どうも駅っぽい。それで、今度は、今登ってきたゲレンデを下り、途中にあった道を上で見えた建物方向へ進んで行くと、「白貝沼」へ行く時に通ったところに出ました!
乗れたのは 16時40分のラス前。
あんな上の方まで登ったお陰で、写せた景色が ↑
遠くまで見渡せる山々の稜線、手前のまだ残る鮮やかな紅葉。
そんな美しい景色を見られたので、
ハァハァ言いながら登った甲斐はありました

翌日(10/23) は予報通り朝から雨で、蔵王温泉の中を歩こうかなとも思っていたのを止めて、早々に山形駅へ。
↓ 23日のお昼(?) と夕食

山形駅へ着いても雨脚は変わらず。でも、時間があるので、市内へ行ってみることに。
あてもないし、な〜んにもない! だんだん機嫌も怪しくなり・・・。
時間潰し(?) にお蕎麦を食べて、駅へ戻り、お土産屋さんを見ながらプラプラ。
とても美味しいお酒でした。
横浜駅構内に南北を繋ぐ通路がいつの間にやら完成していて、何軒かのお店が入っていました。夜はその一軒で。
これにて、10月の東北の旅記録、終了です。
長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございました

↓


なぜかニャーちゃんの横に将棋盤。






jugon1911 at 17:06|この記事のURL│Comments(12)
2020年11月27日
蔵王 -2 (片貝沼)

ただいま〜🎵
ちょっと暑いくらいだった今年の 秋 も、そろそろ 冬 と交代ですね。
月曜日に戻ってきました。そして、昨日は、年に一度の健康診断。
帰って来た日に、ビール+ハイボール(W) 3杯で、肝臓の数値が・・・。
なぜか背が伸び、携帯の見過ぎでしょうか、視力低下。
骨密度もちょっと、ね。って感じ。
↑「片貝沼」
蔵王の続き、行きます(^^)
蔵王温泉、2日目(10/22) の午後は、一旦 "蔵王ロープウェイ" で麓へ下り、そこから、少し歩いたところにある "蔵王中央ロープウェイ" で "鳥兜山" へ。

山の上の方は、もう紅葉も終わって、葉っぱが茶色くなった木や葉を落とした木々が織りなす山の風景になっていました。
こういう山の景色も "絵" になります。
鳥兜山頂(1,387m) から遠くに見える山々の稜線が美しい。
そこから、どこへ行こうか地図を見ながら相談。
「中央高原」と呼ばれるこの辺りには、いろんな散策コースがありましたが、途中に貼ってあった写真の「ドッコ沼」が綺麗だったのと、そんなに時間がかからなさそうだったので行ってみることにして、歩き始めました。
歩いている途中の道標に、「片貝沼」と書いてあり、そこを巡ってから「ドッコ沼」へ行くことができそうだったので、そっちに先に行ってみることにしました。

ゲレンデを横断したり、林をいくつか抜けて、辿り着いた「片貝沼」は、
人っ子一人なく、静寂の中。
向こうに見える山の中の葉を落とした木々の白い幹と赤や黄色やグリーンのコントラストが何とも言えず綺麗でした。

↓ 10/22 のお夕食と 10/23 の朝食

宿泊した宿は、斎藤茂吉のご親戚だったかな、何かご関係があるそうで、この夜の炊き込みご飯は、ちょっと「えッ?!」でしたが、茂吉好みの「鰻ご飯」
山形名物「芋煮」が熱々でとても美味しい。
この日は、量より質。前日のお夕食もこのくらいの量のものをお願いしていたのに、間違っちゃったみたい。


ニャーちゃんの体は本当に柔軟ですね〜。






jugon1911 at 00:00|この記事のURL│Comments(18)
2020年11月16日
蔵王 -1

ゆっくりペースで進む「東北旅行」
3日目は、松島から山寺参拝を経て、蔵王温泉へ。
山寺から脱兎の如く下山して、やっと間に合った 14:57発の電車。
山形到着は 15:17 ですが、毎時 20分発の蔵王温泉行 15:20 のバスには間に合わず、16:20発に乗車。
蔵王温泉に着いたのは 5時頃でしたが、すでに暗くなっていて雨も降り出していました。
行く予定をしていた「お釜」は、雲で見えないとの情報。
それに、COVID-19 の影響で、バスの運行も停止中。
もしも、行くなら蔵王山頂から徒歩で更に 1時間半ほどかけて山を二つ越えて行くしかありません。
「お釜」をまた見たくて来たとは言え、行くのはいいけれど、帰りもあると思うと、見えるか見えないか分からない「お釜」を目指す気になれず、断念。
その向こうに広がるのは、冬には樹氷になる(ハズ) の、針葉樹 "アオモリトドマツ" ですが、山頂付近はほとんど枯れていました。
蛾の幼虫の食害に依るものだそうです。
↓ 蔵王山頂

山頂に着くとすぐ目に飛び込むのは「蔵王地蔵尊」
建立は 1775年 8月 全高 236cm
この大きなお地蔵さまを当時、ここにお祀りするのはどんなに大変なことだったのでしょうね?
左下の写真にある山の中の道をずっと登って行った先に蔵王のシンボル「お釜」があります。

↓ 山頂までは、”蔵王ロープウェイ"
山麓線と山頂線を乗り継いで行きます。

画像をクリックして拡大すると、それぞれの写真を更に大きくしてご覧いただくことができます。

途中で出会ったご婦人が「な〜んにもないのよ、ちょっとした水溜まりのようなものがあるだけ」と仰っていましたが、jugon としては、静かで良い雰囲気。こんな感じかな〜という印象でした。

「いろは沼」へ行くのには、樹氷高原駅からゲレンデを登ります。
雪のないゲレンデを登ったのはここが最初。
振り返ると山々や蔵王温泉の町が見え、良い景色です。
ちょっと青空も見えたり。
「観松平」の一部を通り、3本の古い松に出会えました。(写真は 2本だけ)
↓ ず〜っと昔

「お釜」で撮った写真、み〜〜っけ(^^)
この時も、松島 → 蔵王温泉でしたが、どこかから盛岡へ行き、わんこ蕎麦 をいただいて、松島へ行ったような・・・。

夕食は、お願いしていた少量コースではなく普通のコースで、美味しかったけれど、あれもこれもで品数多過ぎ。ご飯は、今期 2度目の松茸ご飯。
また長い記事になりました。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。


木々の間でぐっすりのニャーちゃん、可愛いね。
(猫を写した場所と記事は関係がありません)

このところ秋晴れの良いお天気が続きますね。でも、もうそろそろ寒くなる時期、みなさまあれやこれやにお気をつけてお元気でお過ごしくださいませ。
留守中にも記事を二つ UP しますが、蔵王の続きではありません。
そちらは、途中になってしまいますが、また帰ってきてから書く予定ですので、よろしくお願いいたします。
コメント欄は閉じさせていただいています。 jugon






jugon1911 at 00:48|この記事のURL
2020年11月11日
瑞巌寺、山寺

東北旅行に戻ります。
福浦島を出て、大通りを駅の方に戻る途中で、美味しそうなお煎餅屋さんがあり、そこでちょっと休憩。そして、「瑞巌寺」に参拝しました。
数十年前に友人と 3人で松島を訪れた時は、門のところで写真を撮っただけで、あの有名な「瑞巌寺」を参拝しませんでした。
理由は・・・忘れもしません、参拝料が 600円だったから(^^)
今でも 700円なので、その当時のお寺の参拝料としては少し高かったのでしょうか??
でも、でもです、名古屋から松島まで行ったのに・・・何を考えていたのやら、と今でも笑い話。

建物内は撮影禁止です。
2年前 1918年に平成の大修理を終えたばかり。
本堂、御成玄関、庫裏・回廊は 1609年に伊達政宗が復興した当時のまま現存していて国宝に指定されています。
入母屋造りの瑞巌寺本堂には 10の部屋があり、中央が「室中孔雀の間」その両側が「鷹の間」「文王の間」などの名前が付き 、唐戸や欄間、襖絵がその名に因んだ鳥や植物で装飾されていて、大変に豪華。魅了されます。
特に欄間と天井の細工は素晴らしい。

一旦仙台へ戻り、仙山線で 松島 の次の目的地「山寺」へ。
松尾芭蕉がこの地で詠んだとされる「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句は
余りにも有名ですね。芭蕉がこの地を訪れたのは 1689年。

山寺の正式名称は
「宝珠山 阿所川院 立石寺」(ほうじゅさん あそかわいん りっしゃくじ) と言います。
山寺駅からまずは「根本中堂」
そして「日枝神社」「常行 念仏堂」
芭蕉の像はこの念仏堂の近くにあったと思います。

山門を通り、石段を登って「せみ塚」
石段を登って行くと、「仁王門」「性相院」「金乗院」「中性院」などがあり、途中の僧たちが修行をした岩場には、岩肌に戒名が刻まれた岩塔婆(いわとうば) や無数の卒塔婆が重ねられた場所が現れます。
そこが「弥陀洞」(みだほら)
誰もいなかったら少し怖い。自然に厳かな気持ちになりました。
↓ 「開山堂」「五大堂」

どんどん登って行くと、百丈岩と呼ばれる断崖絶壁の上に赤い小さな「納経堂」が見えました。この「納経堂」は、山寺に現存する最も古い建物。
その下が、立石寺を開山した慈覚大師を祀る「開山堂」
その奥の更に細い石段を上がったところにあるのが「五大堂」
五大明王が祀られ、慈覚大師が天下泰平を祈った場所と言われています。
「五大堂」は舞台造りの建物で、山寺随一の展望台。
JRの山寺駅も遥か遠くに望めます。

石段のてっぺんは「奥之院」
正式名称を「如法堂」(にょほうどう) といい、御本尊には慈覚大師が修行中に所持していたと伝えられる 釈迦如来 と 多宝如来 の両尊が祀られています。
奥之院の向かって左側にあるのが「大仏殿」
高さ 5mほどの金色の阿弥陀如来座像が安置されています。
そして、階段の下に立つのは、日本三大灯籠の一つ「金灯籠」
山門から奥之院までの石段は 1015 段だそうです。
この日は、ここに寄って、後は山形から蔵王温泉へ行くだけ・・・だって、山寺駅から山形までは 20分だし蔵王温泉までは 40分くらいなんだから・・・と高を括っていたのが大失敗。
電車の時間などもきちんと調べないで朝も結構ゆっくり。
ちょっと気になって、山寺駅へ着く少し前、電車の時間を調べたら・・・えッ〜〜!山形行きの電車は、時間に 1本しかありません。そして、次の列車を逃したら、蔵王温泉へ向かうバスは 2本も後になる・・・ガ〜ン!
それにしても「山寺」を目的に来たのに、あの山を登って参拝するのに 2時間もないなんて、と半分諦め気味だったのを、奥之院で時間を見たら電車到着の時間まで後 25分くらい。ここは頑張るしかない、と駆け足〜(^^)
4分くらい前に到着。やればできるじゃん!
今日も長くなってごめんなさい。
最後までお読みいただき、ありがとうございます♪
↓


久しぶりに会ったニャーちゃんに「わぁ〜久しぶり!こんにちは〜🎵」
と言ったけど、睨まれた〜〜。






jugon1911 at 12:55|この記事のURL│Comments(17)
2020年11月03日
松島 (島巡り、五大堂、福浦島)

今年も早 11月。年末がジワジワ近付いてきました。
ウィルスで家籠りとかしていて、長く感じるかと思っていたけれど、時の流れの速さは例年と変わりませんね。
今月もどうぞよろしくお願いいたします

東北旅行の続きです。
10/20 仙台から松島海岸駅までは、仙石線で約 40分。
もっと海岸線を走るかと思っていたらそうでもなく。
松島海岸駅は、ただいま修復中で、再来年までかかるそうです。
そんなに長い工期と聞いてどんな駅になるのか楽しみになりましたが、行くチャンスはあるかな?(^^)
松島へ行くのは 2度目。前の時には、小舟でお友達と 3人だけで巡った記憶ですが、今回は、大きな「仁王丸」という遊覧船でした。
駅のところで「ハイハイ、こちらですよ」みたいな感じで自動的(?) にチェック・イン(^^)

江戸時代初期、全国を行脚した儒教学者の林 春斎がその著書「日本国事跡考」の中で "日本三処奇観" と記したのが現在の "日本三景" の始まりと言われていて、後の二つは、ご存じ、京都の「天橋立」と 広島の「宮島」ですね。
ずっとデッキにいたので船内放送がほぼ聞こえず、
島の名前は良く分りませんが、
左上 2枚の鵜がいる島は「仁王島」その下の胴門があるのが「鐘島」です。
湾内では、牡蠣の養殖をあちこちでしていました。
シーズン・インなのに・・・牡蠣を食べられないまま

↓ 海から望んだ「瑞巌寺 五大堂」

五大堂へ向かう朱塗りの橋は「透かし橋」と呼ばれ、渡した木の間から海が見えていて、ちょっと怖い。

この建物は、1604年に伊達政宗公が再建したもので、東北最古の桃山建築だそうです。大事にしたいですね。
装飾材の蟇股(かえるまた) は十二支の彫刻です。
こういう派手さのない木材だけの色の建物は、気持ちが落ち着きます。
↓ 向こうに見える黒い影の島は、多分「経ヶ島」

↓ 「福浦島」

松島湾の景観と島巡り以外、どこへ行く目的もなく、五大堂の後はその先にある赤い橋を渡って「福浦島」へ。
この赤い橋、福浦橋の別名は「出会い橋」
"松島三大橋" もう一つの赤い橋は、雄島にかかる「渡月橋」です。
雄島 には行きませんでしたが、こちらの別名は「縁切り橋」
この縁切りは、男女の縁ではなく、古来は霊場であった雄島へ修行に赴いた僧たちが、渡月橋を渡る際に俗世間と縁を切ったという意味の "縁切り橋"
これらの赤い橋を渡る順番があるとするなら
「縁切り橋」→ 「出会い橋」→「縁結び橋」でしょうね〜。
ずんだのソフト・クリームを食べながら渡った「出会い橋」の先の福浦島には、見るというほどのものはなく島内散歩。
ただ古い弁天堂と見晴らし台からの松島湾の眺めが良く、
弁天堂は、政宗公の時代に塩田の守り尊として崇められていた「磯崎弁天」を 瑞巌寺の126世 盤龍和尚が 1935年に福浦島へと移したものだそう。
弁天堂に小さなダルマがたくさん置いてあるのは、島にある売店で売られている "ダルマみくじ" の内容が良くなかったら、この社殿に置いていくという習わしがあるからのようです。
↓ 夕食などなど

宿泊したホテルは、オール インクルーシヴだったので、
お食事は全てビュッフェスタイル、アルコールもフリー。
ビュッフェだと・・・ビール、ワインで洋食、その後、日本酒で和食・・・という節操のないお食事になります(^^;;
フレッシュなトマトをその場で絞った朝食の時の "トマト・ジュース" が最高でした。


松島ではなく、横浜の金沢文庫にある「称名寺」で出会ったクロちゃん。






jugon1911 at 23:28|この記事のURL│Comments(16)